ここでは過去私が観戦した試合から印象に残る試合を振り返りたいと思います。

[1.昭和59年9月15日 広島市民球場 対巨人]

 この年は4度目のリーグ優勝に3度目の日本一になりましたが、リーグ優勝を決定付ける試合の一つとなったのがこの試合であったと思います。この試合は一塁側内野指定席で観戦していましたが、今振り返りますと9回表までは見せ場があまりなかったように思います。唯一思い出せるのは巨人のクロマティ選手がレフトフェンス直撃のタイムリーヒットを打ったことぐらいです。9回表が終わったところで0−2と巨人がリードしてました。一緒に観戦していた弟は「帰ろう」を繰り返していましたが、私が「最後まで見よう」と動かず、最終回を迎えました。9回の裏は3番の山本浩二選手からで、巨人先発の西本投手からヒットを打ちました。次は4番の衣笠選手でした。山本浩二選手の代走に今井選手が出てきて、今井選手が走りました。遊撃手が二塁に入ったところに衣笠選手がちょうど遊撃手の定位置付近に打球を飛ばし、見事なヒット&ランが決まりました。私が見た中で最高のヒット&ランだったと思います。打席には5番の長嶋選手が入りました。何球目だったか忘れましたが、見事に逆転サヨナラ3ランホームランをライトスタンドに打ちました。打った瞬間私は立ち上がり、打球の行方を見守り、入った瞬間万歳をしたのは覚えています。あのときの広島市民球場の総立ち状態は今でも忘れられません(ちなみに長嶋選手は翌日の試合でも江川投手からサヨナラホームランを打ちました)。

[2.平成3年9月1日 広島市民球場 対中日]

 この年は5度目のリーグ優勝を果たしましたが、競いあったのが中日でした。8月30〜9月1日まで広島市民球場で対中日戦があったのですが、連敗し、ここで負けると中日に追いつくことが難しくなる中での試合でした。試合は8回を終わったところで3点差をつけて9回表に大野投手を出しましたが、落合選手に同点3ランホームランを打たれました。9回裏、中日は森田投手を出しましたが、代打原選手が左中間にサヨナラヒットを打ち3連敗を免れました。この試合をものにできたからこそ、1週間後のナゴヤ球場での中日戦で3連勝し、優勝できたのだと思います。

[3.平成8年8月31日 横浜スタジアム 対横浜]

 この年は悔しい思いをしました。この試合の2日前には江藤選手が右目の下にボールを当て戦線離脱、前の日は近藤投手が1回に大量点を奪われて完敗と嫌なムードの中試合は始まりました。1回に金本選手がホームランを放ちリードしますが、先発の山内投手が不調で、シーソーゲームになり、8回裏に玉木重雄投手が二死満塁から波留選手に内野安打を打たれ、1点リードされました。9回表には佐々木投手が登板しました。「負けかな」と思いましたが、前田選手が同点タイムリーを打ち、延長戦に入りました。10回表も二死になり、途中から9番に入っていた浅井選手にまわりました。この年の6月1日に私が観戦した試合で浅井選手が斎藤隆投手から同じ延長10回二死からレフトスタンドに決勝ホームランを打ちましたので、そのときの記憶を思い出し、同行者(今の私の奥さんです。6月1日も一緒に観戦してました)に、「あのとき同じような状況で打ったね」と話をしていましたが、何とここでも浅井選手が佐々木投手のフォークボールをライトスタンドへホームランを打ちました。私の奥さんがホームランが入った瞬間に、隣の私のほうを見ると、私がいないとびっくりしてました。私は無意識に打った瞬間に前に飛び出していたのです。それほど嬉しいホームランでした。この試合に勝った後、私は「今年は優勝できる」と確信したのですが・・・。